まだあげ初めし 前髪の
林檎のもとに 見えしとき
前にさしたる 花櫛の
花ある君と 思ひけり
やさしく白き 手をのべて
林檎をわれに あたへしは
薄紅(うすくれない)の 秋の実に
人こひ初めし はじめなり
これは島崎藤村の有名な「初恋」という詩ですが、瑞々しい初恋の心情が心に沁みる作品ですね。
この詩の情感を一気に高めているのが「薄紅の」という色の表現ではないでしょうか。
「薄」紅であるが故に、この詩の主題「初恋」に大きく共鳴して人の心を打ち震わせてくるのだと思います。
これが「濃い」紅ではやはり瑞々しさとはかけ離れてしまいますね。
色を表現する「言葉」からの人の受け取り方は、おおよその概念では共通してはいますが、
直感的情緒的であって、人によって微妙に異なっているものです。
文学においてはそれがまた、より深い味わいを醸し出して、個人個人の心にそれぞれ異なった形で訴えかけて行くものなのではないでしょうか。
曖昧であるが故の言葉の大きな力なのかもしれません。
一方、文学や芸術の世界から離れてみると、その「曖昧さ」が逆に問題になる場合もあります。一般の日常会話では、「薄紅の秋の実」だとか、「真っ青な空」のようにコトバで色を表現して相手に伝えることが殆どで、それでもおおよその意図は伝わりますし、困るということはそんなに多くは無いと思います。でも、例えば電話で会話しているような場合、同じ物を両者が同時に見ている訳ではありませんので、「薄紅」といっても、どの程度の「薄さ」なのかは、なかなか正確には伝わりません。
世の中には色を客観的に正確に表示して他者に伝え、管理する必要のある場面は意外に多くあるものです。例えば、赤ちゃん用の粉ミルクを製造販売している会社の場合はどうでしょう。商品は粉ミルクをそのまま販売する訳ではなく、容器に封入してその容器に商品をアピールする絵や文字を描いたラベルを貼って出荷販売します。その商品が店頭に陳列されて、それをお客様が購入することになります。お客様は、容器の外観を見て購入を判断する訳ですね。
この時、容器のラベルに赤ちゃんの絵が描いてあれば、その赤ちゃんが健康で生き生きとして見えることが望ましいのは当たり前です。
もし、その赤ちゃんの顔が病人のような青白い色に印刷されていたら、お母さんはその粉ミルクを買いたいと思うでしょうか? 容器の中身の粉ミルク自体がいかに高品質で良いものであったとしても、容器外観の色ズレのために買ってもらえないということになってしまいます。
私たちの身の回りの様々な工業製品についても、その製造過程で色が管理されています。
例えば、携帯電話を生産する場合、表カバーと裏カバーが同じ色にデザインされていることも多いですね。表カバーと裏カバーの部品を同じ工場で作る場合は、色のバラツキは比較的小さくしやすいのですが、表カバーは A 社に、裏カバーは B 社にと、分けて発注し、それらを組み立てる場合もよくあります。
この場合、両部品の製造場所が異なるため、出来上がりの色を指定していても、微妙に色が異なってしまうことはよくあります。特に、表カバーと裏カバーのように、互いに境を接して組み上げる部品の場合は、わずかな色のズレも人間の眼には目立ってしまいがちですのでかなり厳しい色の管理が必要になります。≪※1≫
また、農協などでの野菜や果物の出荷についても、或る望ましい色の範囲に選別して出荷されることが行われています。特に日本のマーケットでは、色や形が揃っていて見栄えが良いものが高く売れる傾向が強いようです。
つまり、色によって商品の売れ行きが大きく左右されたり、販売価格(すなわち付加価値)に影響を及ぼす要因になることが往々にしてある訳です。従って、世の中の多くの商品については、望ましい色(基準の色)に対して或る色ズレ範囲以内に色を管理して製造・出荷する陰の努力が払われています。
上述の粉ミルクや携帯電話の例は、色ズレの許容範囲がかなり厳しい場合の例ですが、許容される色ズレの程度は、極めて厳しいものから、かなり大雑把でよいものまで、それぞれの商品の種類や性質毎に異なっています。しかしいずれにしても、この色の管理は、客観的尺度で定量的にかつ長期的に安定して実施する必要があります≪※2≫。
そのためには、「色」というものを客観的に適切に評価して表示する手段・方法、つまり、表色系というものが必要になる訳です。
私たちはこの世に生まれて以来、意識しない内に当然のごとく様々な色に囲まれた中で成長し、「色の海」の中で生活してきました。私たちが識別できる色の種類は、(色を見る条件によっても変わりますが)750万種とか1000万種にも及ぶという説もあります。更に、物体の色は照明や観察の条件によって変化しますし、また観察者個人毎によって主観的な心理的応答の仕方が微妙に異なるなど、多様かつ複雑です。これを客観的・定量的に表示することはそんなに簡単な話ではありませんが、今日ではここ百年余りの色彩学者達の研究の成果として、色々な表色系が提案され実用化されてきています。
色を表示する方法は、大きく分類すると、色名系、色票系(カラーオーダーシステム)、混色系に分けることができます【下図】。
(この内、色名系と色票系を合わせて、顕色系と呼ばれることもあります。)
色名系とは、私たちが一般に使用している言語による色の表現です。色彩に関する特別な知識が無くても、生活体験を通した色に対する共通の概念に基づいて、日常生活では大きな支障なくコミュニケーションが可能です。色名には、慣用色名 と 系統色名 があります。
慣用色名は、自然界の事物などの色に由来して慣用的に使われる色名で、その国、その地方の歴史・文化に深く根ざしたもの・・・例えば、茶色、琥珀色、鶯色、茜色、等々、私たちになじみの深い色名が数多く使用されています≪※3≫。慣用色名はその言葉を聞いた瞬間、直感的・具体的にその色を連想することができるという極めて大きな特長がありますが、その言葉から連想する色は万人が全く同じ色を連想する訳ではなく、個人個人によって微妙に異なると考えられます。また、世の中の全ての色に対して慣用色名が付けられている訳ではなく、特定の色に限られていますし、特定の色に対して異なる色名が並存したりすることもあります。
このような問題を解決するためのものとして系統色名が考えられました。
系統色名は、「基本色名」として、物体色では有彩色10種類(赤、黄赤、黄、黄緑、緑、青緑、青、青紫、紫、赤紫)と無彩色3種(白、灰、黒)を定め、これに予め定められた明度、彩度に関する特定の「修飾語」をつけて、全ての色を漏れなく言葉でできるだけ客観的に表す方法です(JIS Z 8102)。 例えば、慣用色名での「茶色」は、系統色名では「暗い灰みの黄赤」という表現になります。≪※4≫
色票系の定義には色々あるのですが、通常は「色紙などの表面色によって標準色票を作成し、それを系統的・規則的に配列して、その知覚色を客観的・定量的に表示する体系」と解釈されます。
色票系は、小中学校の図画工作や美術の教科書等でご覧になった記憶をお持ちの方も多いと思います。
色票系では、マンセル表色系が最も代表的ですが、これは、色の心理的三属性と言われる、色相、明度、彩度を独立変数として、目視で知覚的に等間隔に変化するように色を立体的に配列したシステムです。色の立体的な配置によって記号・数値を割り振って客観的に表示するものです。表示の方法も簡単で、直感的に非常に解りやすく、世の中に広く普及しています。
色票を用いることから解りますように、この表色系は物体色のみに適用され、光源色には適用できません。色票系は、カラーオーダーシステムとも呼ばれることがありますが、この呼び方は、1980年頃に国際色彩学会(AIC)で提起されたものです。
色票系としては上記のマンセル表色系と、オストワルト表色系が最も基本的なものです。その他、DIN表色系、NCS表色系、PCCSなどがありますが、これらはマンセル表色系やオストワルト表色系から派生したものと考えられます。
混色系は、人間が色を認識する仕組みの研究から確立されたものです。本連載第11回で説明しましたように、人間は、眼に入射する光によって網膜上の視細胞(3種の錐体)がそれぞれ刺激(この刺激の大きさを心理物理量と言います)を受け、その刺激が脳に伝えられて、3種の刺激量の比から脳が色を認識しています。この仕組みに基いて組み立てられたものが混色系で、加法混色の原理を適用していることからその呼び方が由来しています。混色系を代表する表色系は、国際照明委員会(CIE)で規定された「CIE 表色系」です。
CIE 表色系は、眼に入射する光によって網膜上の3種の錐体が受ける刺激の強さによって色を表示するシステムですので、物体色はもちろん、色票系(カラーオーダーシステム)では取り扱えない光源色も表記することができます。また、物体色については、照明光の分光分布特性が規定されさえすれば、どんな照明光であってもその下での物体色を表記することができます。
その表記は、色票系ではとても表記しきれない細かいレベルまで非常に厳密かつ精緻に表記することができます。
CIE 表色系にも幾種類かありますが、実用上の最も基本となるものが、
CIE - XYZ 表色系で、主として光源色の表示に使用されています。
これは CIE - XYZ 表色系が加法混色の結果を色度図上で混色比に応じた直線の軌跡で表せる特長を持っているためです≪※5≫。
従ってLED光源の色を記述する場合は、専ら CIE - XYZ 表色系が用いられます。
また、色を扱う場合には「色の差」を問題にすることが多いのですが、このような場合、XYZ 表色系では、人間が認識する「色の差」の感覚と色空間上での距離との関係が、色の種類によって様々に変化してしまう ・・・・・「非均等色差空間」になっている ・・・・・ という問題があります。色差を考える場合は、どんな色に対しても、人間の感じる「色差」感と色空間での「距離」が一致していること・・・つまり「均等色差空間」であることが望ましいため、 CIE - XYZ 表色系からの数学的な座標変換処理によって、 CIE - L*a*b* 色系 や CIE - L*u*v* 表系 などが開発されています。これらの各種 CIE 表色系は、世界中の学会や産業界で広く活用されています≪※6≫。
上述のマンセル表色系(色票系)や CIE 表色系(混色系)についての具体的内容およびその特徴については、次回以降に具体的にお話する予定です。
一方、例えば掃除機の本体部分と吸い込み口の部品がデザイン的に同じ色に指定されているような場合、色ズレの許容範囲は上記携帯電話の例ほど厳しくはありません。人間の眼は、離れた位置関係にある色同士の色ズレには鈍感になってしまうからです。
最も簡単で一般的な色ズレ管理手法は、「限界サンプル」を用いる方法です。予め良否判別の境界になる色のサンプル(限界サンプル)を複数の色ズレ方向ごとに準備しておき、判定したい試料の色をこれらの限界サンプルと肉眼で比較して良否を判定するものです。非常に解りやすくて手軽で安上がりな方法ですので世の中でよく用いられています。
人間の眼は、互いに境を接した複数の色を比較するときにはかなり敏感で、わずかの色の差も識別できるという特性を持っています。従って、限界サンプルによる方法は、一見、許容範囲の狭い厳しい色ズレの管理も可能ではないかとも思われますが、実際のところは以下のような事情があるため、あまり厳しくない場合に使われることが多い様です。
・ 判定者の色覚の個人差
・ 判定者の心身の状態に依存する色判定結果の変動
・ 照明光の管理が面倒
・ 限界サンプルの色の経時変化 等々
客観的、定量的に色ズレを管理するためには、目視に頼らず、色の評価条件が容易かつ安定的に再現でき、また、色の表示精度も精緻なレベルまで可能な、色彩計がよく使用されます。
JIS Z 8102:2001 には、慣用色名として168種規定されています。
外国語においても、orange, olive, ivory, amber, salmon pink 等々、様々な慣用色名が挙げられます。
光源色の場合の基本色名は、有彩色11種(赤、黄赤、黄、黄緑、緑、青緑、青、青紫、紫、赤紫、
ピンク)と無彩色1種(白)の計12種が規定されています。(JIS Z 8110:1995)
2種の色 A と B
を a:b の比率で混色した結果の色の色度点が C となった場合、色度図上では、 を b:a に内分した座標点が C の色度点となります。
となります。
これは、色度図が数学的には線形空間 ( linear space ) であるという本質が、色光の加法混色の物理的性質にうまく合致しているということを示しています。
これが光源色を扱う場面が多い照明分野で、色度図が盛んに用いられる大きな理由です。
CIE - XYZ 表色系は、JIS Z 8701:1999 に、また、CIE - L*a*b* 表色系および
CIE - L*u*v* 表色系は、JIS Z 8729:2004 に規定されています。