光と色の話 第一部
第37回 博物館・美術館の展示照明
・・・・・低損傷LED照明・・・・・
前回(第 36 回)は、私たちの生活空間で用いられる各種一般用照明について、重要特性項目との関連において、各種光源の特徴を比較してみました。今回は、私たちの日常生活で一般に用いられる照明に比較して、より上質であることと同時に更に異なった要求のある博物館や美術館での展示用照明についてお話します。
鑑賞のための照明
これらの照明は、先ず当然のことながら、その展示物に相応しい視環境の下で鑑賞できることが求められます。展示物の種類や形状・大きさ、展示目的、展示室の状況、などの諸条件に応じて、照明による展示物の色の見え(演色性)はどうか、光色(相関色温度)はどうか、どの程度の明るさ(展示物位置での照度レベル)が良いのか、どの方向から照明してどの方向から観察するのか、直接照明が良いのか間接照明が良いのか、等々の様々な要素を勘案して照明方法が検討されることになります。
照明光による展示物の損傷
その一方で、博物館や美術館の展示用照明は、鑑賞という立場からのみで設定される訳ではありません。博物館を訪問した経験のある方には思い当たる人も多いのではないかと思いますが、展示室の照明はかなり暗めであることが多いですね。もっと明るい照明の方が見易くて良いのに・・・と思ったこ とがあるかもしれません。歴史的な仏像などの文化財の場合は、暗めの照明の方が見た感じも神秘的で厳かさが漂って心理的にありがた味も増してくるような感じもあるかもしれません。
それを否定するものではありませんが、実は、それ以外に極めて重要な理由があるのです。
それは、照明光によって展示物が痛んでしまう(損傷を受ける)ことを極力抑えるためなのです。
私たちの日常でよく経験することでは、例えば、長期間白い紙(新聞紙など)を日向に晒しておくと、やがて黄色く変色してしまいます。この変色の度合いは、紙に照射される光が強いほど、また照射時間が長いほど大きくなります。この現象は、光を長時間受け続けることによって、紙を構成する分子が損傷を受けて分子構造レベルで徐々に変質した結果、可視域短波長側(青領域)の反射率が変化(低下)してしまうことが原因なのです。
博物館・美術館の照明についてもこれと同様なことが言えますので、極力暗めの照明にして展示物の損傷を防ぐ配慮がなされている訳です。
照明光を波長成分的(分光的)に見れば、一般的には、照明光に含まれる主に紫外線などの短波長光ほど物体に与える損傷が大きくなります。つまり、エネルギーの大きい光子(短波長光)ほど、物体を構成する分子に損傷を与え易い訳です。分子の損傷は反射率の変化、すなわち変褪色だけに留まらず、分子構造の変化による物体そのものの脆化・・・脆くなってちょっとした外力で壊れやすくなる・・・という現象の原因にもつながってきます。この脆化現象は、展示物表面の温度変化や湿度変化にも複雑に関係しており、照明光のみによるものとは言えないのですが、照明光の、特に紫外成分による分子構造損傷と赤外成分による温熱効果が大きな脆化促進要因となります。≪※1≫
展示物の損傷は一般に不可逆で元には戻りません。特に博物館・美術館での展示物は、歴史的・文化的に貴重なものも多く、一旦損傷を受けてしまうと取り返しがつかないことになってしまいます。
展示物の損傷抑制と鑑賞条件の二律背反
照明光による展示物の変褪色や脆化などの損傷の受け易さ(応答度)は、展示物自体の素材によって様々なのですが≪※2≫、照明光側の要因としては展示物表面に降り注ぐ分光放射照度分布と照射時間に大きく依存しており、特に光子エネルギーの大きい短波長成分(紫外や可視光短波長域)が悪影響を及ぼします。また、温熱効果を及ぼす(可視光よりも長波長の)赤外成分も悪影響を及ぼします。肉眼では見えない紫外・赤外成分は鑑賞には直接関係しませんので、展示用には紫外・赤外成分をカットした照明光を用 いるというのが原則なのですが、中には案外その配慮が抜けている場合もあるようですので注意が必要です。
また、可視域については、鑑賞条件(展示物の明るさや色の見え方)に直接関係してきます。展示物の観賞や修復・管理作業などのためには、ある程度以上の明るさと演色性が必要であり、また、展示物の種類によっては相関色温度が高めの(相対的に短波長成分が強い)照明の方が鑑賞上望ましい場合もあり、損傷抑制と鑑賞条件とは二律背反の関係にあります。
実際には両者のバランスを考慮した照明になる訳ですが、特に歴史的に貴重な文化財ほど「損傷抑制(保存)」という要素の方がより優先されることになります。このような事情から、貴重な文化財の場合には、紫外・赤外をカットした熱放射型光源(白熱ランプやハロゲンランプなど)や、博物館・美術館用の高演色性低損傷蛍光ランプが、極力暗めで使用されることになります。
また、可視域の中でも短波長側の紫や青の成分は、紫外ほどではないにしろ展示物への損傷を及ぼしますので、可視域短波長成分が相対的に弱い赤味を帯びた(相関色温度の低い)暗めの照明が望ましいことになります。
文化財等の展示会は、一般に例えば数週間程度の展示期間に限定されていることが多いのは、保存の観点から照明を当てる時間を必要最小限に抑えるためで、展示期間以外は(温湿度を管理した)暗黒の収蔵庫に保管され、極力損傷を受けない様に管理されています。
文化財展示用の白色 LED
近年、熱放射型ランプ(白熱ランプやハロゲンランプ等)や蛍光ランプに代わる次世代の一般照明用光源として LED ランプの普及発展が目覚ましく、博物館や美術館においても LED 照明導入の動きが徐々に進んできています。LED 照明においても上記のような鑑賞条件と損傷抑制の二律背反の事情は変わりませんが、 LED ならではの特長を活かすことによって、博物館・美術館において従来主流であった低損傷・高演色性の熱放射型ランプや蛍光ランプよりも更に良好な照明が実現され、日々改善が進んでいます。
LED は本来、発光原理的に狭帯域の準単色光であり、展示物損傷の大きな原因となる紫外・赤外の放射をフィルター無しでも僅少にすることが可能です。鑑賞に必要な可視域のみの発光に限定すると同時に、蛍光体との組み合わせによって、可視域一杯になだらかな分光分布を持たせ、極めて高い演色性の白色光源を実現することができます。更に、蛍光体の選定・調整によって、様々な光色(相関色温度)も実現可能です。LED のこのような特徴を活かして開発されたものがシーシーエス(株)の“自然光 LED ” ≪※本連載第 36 回「身の周りの照明光源」≫で、博物館・美術館用の照明として採用が進んでいます。
※自然光 LED についてはこちらをごらんください。
また、LED照明の光源形状は従来光源のような真空バルブ型の形態ではなく、大幅に小型軽量にすることが可能で、実際の展示室での光源配置の自由度も大きくなります。更に、ひとつの光源装置の中に複数の相関色温度の白色 LED 光源を実装して、各 LED の発光を外部から制御することにより、様々な光色(相関色温度)を自在に変化させることも可能になります。例えば、展示室内の同一展示物に対して、あたかも朝・昼・夕方の時刻での見え方・雰囲気を短時間で自在に観察できるようにした展示も実現されています。≪※3≫
LED のランプ効率の高さ(低消費電力)と寿命の長さは、一般照明用光源の場合と同様に大きなメリットであることは言うまでもありません。
注釈
≪※1≫ 文化財の各種損傷要因
博物館等での文化財の保管については、損傷を受けることなく現状を恒久的に保存し続けることが求められます。展示物の受ける損傷については、多種多様な展示物に対して一律的には論じきれませんが、その原因として、(今回の主題である)照明光による損傷以外にも、温度、湿度、黴、害虫・害獣などが挙げられます。例えば温度について言えば、物体は温度上昇により膨張しますので、温度変動が大きいと膨張・収縮の繰り返しにより、物理的・継時的に脆化が進むことになります。またスポット照明の場合などでは、照明光が当たった部分と当たらない部分の間で温度差による熱膨張差が発生し、機械的損傷が進む要因ともなります。なお、一般に化学変化の進行速度は温度が 10 ℃ 上がる毎に倍増すると言われています。
湿度に関しても注意が必要で、湿度が低すぎると、特に木製品などではその表面硬化・塗装剥離・ひび割れを引き起こしたり、逆に湿度が高くなりすぎると、細菌や黴の繁殖を促進したり、金属表面に錆びや曇りが出たりしまうことになります。また、害獣や害虫による機械的な破損(爪痕、食害など)、害虫の糞による汚染なども深刻な問題となることがあります。
≪※2≫ 展示物素材に依存する損傷度
一言で展示物と言ってもその種類は、絵画、古文書、織物、皮革、彫刻、陶芸作品、埋蔵文化財、動植物標本、・・・など多岐にわたり、またその内、例えば絵画を例にとっても、油彩画、水彩画、水墨画、など多種多様です。当然、展示物個々の素材特性によって環境条件に対する損傷の度合いは一律的ではありません。
照明光による損傷という切り口では、大雑把には、無機材料(金属、ガラス、石材など)と有機材料(植物や動物を原料とするもの)とでは損傷の受け易さ(応答度)が異なり、有機材料の方がより高い応答度を示すのが一般的です。展示物素材は、有機・無機に単純に分類しきれるものではありませんが、これまでの各種展示材料に対する研究により、保存管理の面から照明光による損傷の応答度を大きく 4 つのカテゴリー(応答度無し、低応答度、中応答度、高応答度)に分けて、展示物毎に対応することが推奨されています。
≪※3≫ 相関色温度可変 LED 照明
山口県立美術館で導入されたシーシーエス製 LED 照明には、細かな光の色味変化の調整を、容易な操作で実現する専用プログラムが組まれており、朝方から夕刻へと光の色味が変化するなかで、 作品の表情が移り変わっていく様子を再現できます。
シーエス独自の技術により、どの光の色味においても平均演色評価数 Ra 95 以上の演色性を維持することに加えて、展示品の光による損傷に対する配慮も同時に実現しております。
光と色の話 第一部
第37回 博物館・美術館の展示照明
・・・・・低損傷LED照明・・・・・
前回(第 36 回)は、私たちの生活空間で用いられる各種一般用照明について、重要特性項目との関連において、各種光源の特徴を比較してみました。今回は、私たちの日常生活で一般に用いられる照明に比較して、より上質であることと同時に更に異なった要求のある博物館や美術館での展示用照明についてお話します。
鑑賞のための照明
これらの照明は、先ず当然のことながら、その展示物に相応しい視環境の下で鑑賞できることが求められます。展示物の種類や形状・大きさ、展示目的、展示室の状況、などの諸条件に応じて、照明による展示物の色の見え(演色性)はどうか、光色(相関色温度)はどうか、どの程度の明るさ(展示物位置での照度レベル)が良いのか、どの方向から照明してどの方向から観察するのか、直接照明が良いのか間接照明が良いのか、等々の様々な要素を勘案して照明方法が検討されることになります。
照明光による展示物の損傷
その一方で、博物館や美術館の展示用照明は、鑑賞という立場からのみで設定される訳ではありません。博物館を訪問した経験のある方には思い当たる人も多いのではないかと思いますが、展示室の照明はかなり暗めであることが多いですね。もっと明るい照明の方が見易くて良いのに・・・と思ったこ とがあるかもしれません。歴史的な仏像などの文化財の場合は、暗めの照明の方が見た感じも神秘的で厳かさが漂って心理的にありがた味も増してくるような感じもあるかもしれません。
それを否定するものではありませんが、実は、それ以外に極めて重要な理由があるのです。
それは、照明光によって展示物が痛んでしまう(損傷を受ける)ことを極力抑えるためなのです。
私たちの日常でよく経験することでは、例えば、長期間白い紙(新聞紙など)を日向に晒しておくと、やがて黄色く変色してしまいます。この変色の度合いは、紙に照射される光が強いほど、また照射時間が長いほど大きくなります。この現象は、光を長時間受け続けることによって、紙を構成する分子が損傷を受けて分子構造レベルで徐々に変質した結果、可視域短波長側(青領域)の反射率が変化(低下)してしまうことが原因なのです。
博物館・美術館の照明についてもこれと同様なことが言えますので、極力暗めの照明にして展示物の損傷を防ぐ配慮がなされている訳です。
照明光を波長成分的(分光的)に見れば、一般的には、照明光に含まれる主に紫外線などの短波長光ほど物体に与える損傷が大きくなります。つまり、エネルギーの大きい光子(短波長光)ほど、物体を構成する分子に損傷を与え易い訳です。分子の損傷は反射率の変化、すなわち変褪色だけに留まらず、分子構造の変化による物体そのものの脆化・・・脆くなってちょっとした外力で壊れやすくなる・・・という現象の原因にもつながってきます。この脆化現象は、展示物表面の温度変化や湿度変化にも複雑に関係しており、照明光のみによるものとは言えないのですが、照明光の、特に紫外成分による分子構造損傷と赤外成分による温熱効果が大きな脆化促進要因となります。≪※1≫
展示物の損傷は一般に不可逆で元には戻りません。特に博物館・美術館での展示物は、歴史的・文化的に貴重なものも多く、一旦損傷を受けてしまうと取り返しがつかないことになってしまいます。
展示物の損傷抑制と鑑賞条件の二律背反
照明光による展示物の変褪色や脆化などの損傷の受け易さ(応答度)は、展示物自体の素材によって様々なのですが≪※2≫、照明光側の要因としては展示物表面に降り注ぐ分光放射照度分布と照射時間に大きく依存しており、特に光子エネルギーの大きい短波長成分(紫外や可視光短波長域)が悪影響を及ぼします。また、温熱効果を及ぼす(可視光よりも長波長の)赤外成分も悪影響を及ぼします。肉眼では見えない紫外・赤外成分は鑑賞には直接関係しませんので、展示用には紫外・赤外成分をカットした照明光を用 いるというのが原則なのですが、中には案外その配慮が抜けている場合もあるようですので注意が必要です。
また、可視域については、鑑賞条件(展示物の明るさや色の見え方)に直接関係してきます。展示物の観賞や修復・管理作業などのためには、ある程度以上の明るさと演色性が必要であり、また、展示物の種類によっては相関色温度が高めの(相対的に短波長成分が強い)照明の方が鑑賞上望ましい場合もあり、損傷抑制と鑑賞条件とは二律背反の関係にあります。
実際には両者のバランスを考慮した照明になる訳ですが、特に歴史的に貴重な文化財ほど「損傷抑制(保存)」という要素の方がより優先されることになります。このような事情から、貴重な文化財の場合には、紫外・赤外をカットした熱放射型光源(白熱ランプやハロゲンランプなど)や、博物館・美術館用の高演色性低損傷蛍光ランプが、極力暗めで使用されることになります。
また、可視域の中でも短波長側の紫や青の成分は、紫外ほどではないにしろ展示物への損傷を及ぼしますので、可視域短波長成分が相対的に弱い赤味を帯びた(相関色温度の低い)暗めの照明が望ましいことになります。
文化財等の展示会は、一般に例えば数週間程度の展示期間に限定されていることが多いのは、保存の観点から照明を当てる時間を必要最小限に抑えるためで、展示期間以外は(温湿度を管理した)暗黒の収蔵庫に保管され、極力損傷を受けない様に管理されています。
文化財展示用の白色 LED
近年、熱放射型ランプ(白熱ランプやハロゲンランプ等)や蛍光ランプに代わる次世代の一般照明用光源として LED ランプの普及発展が目覚ましく、博物館や美術館においても LED 照明導入の動きが徐々に進んできています。LED 照明においても上記のような鑑賞条件と損傷抑制の二律背反の事情は変わりませんが、 LED ならではの特長を活かすことによって、博物館・美術館において従来主流であった低損傷・高演色性の熱放射型ランプや蛍光ランプよりも更に良好な照明が実現され、日々改善が進んでいます。
LED は本来、発光原理的に狭帯域の準単色光であり、展示物損傷の大きな原因となる紫外・赤外の放射をフィルター無しでも僅少にすることが可能です。鑑賞に必要な可視域のみの発光に限定すると同時に、蛍光体との組み合わせによって、可視域一杯になだらかな分光分布を持たせ、極めて高い演色性の白色光源を実現することができます。更に、蛍光体の選定・調整によって、様々な光色(相関色温度)も実現可能です。LED のこのような特徴を活かして開発されたものがシーシーエス(株)の“自然光 LED ” ≪※本連載第 36 回「身の周りの照明光源」≫で、博物館・美術館用の照明として採用が進んでいます。
※自然光 LED についてはこちらをごらんください。
また、LED照明の光源形状は従来光源のような真空バルブ型の形態ではなく、大幅に小型軽量にすることが可能で、実際の展示室での光源配置の自由度も大きくなります。更に、ひとつの光源装置の中に複数の相関色温度の白色 LED 光源を実装して、各 LED の発光を外部から制御することにより、様々な光色(相関色温度)を自在に変化させることも可能になります。例えば、展示室内の同一展示物に対して、あたかも朝・昼・夕方の時刻での見え方・雰囲気を短時間で自在に観察できるようにした展示も実現されています。≪※3≫
LED のランプ効率の高さ(低消費電力)と寿命の長さは、一般照明用光源の場合と同様に大きなメリットであることは言うまでもありません。
注釈
≪※1≫ 文化財の各種損傷要因
博物館等での文化財の保管については、損傷を受けることなく現状を恒久的に保存し続けることが求められます。展示物の受ける損傷については、多種多様な展示物に対して一律的には論じきれませんが、その原因として、(今回の主題である)照明光による損傷以外にも、温度、湿度、黴、害虫・害獣などが挙げられます。例えば温度について言えば、物体は温度上昇により膨張しますので、温度変動が大きいと膨張・収縮の繰り返しにより、物理的・継時的に脆化が進むことになります。またスポット照明の場合などでは、照明光が当たった部分と当たらない部分の間で温度差による熱膨張差が発生し、機械的損傷が進む要因ともなります。なお、一般に化学変化の進行速度は温度が 10 ℃ 上がる毎に倍増すると言われています。
湿度に関しても注意が必要で、湿度が低すぎると、特に木製品などではその表面硬化・塗装剥離・ひび割れを引き起こしたり、逆に湿度が高くなりすぎると、細菌や黴の繁殖を促進したり、金属表面に錆びや曇りが出たりしまうことになります。また、害獣や害虫による機械的な破損(爪痕、食害など)、害虫の糞による汚染なども深刻な問題となることがあります。
≪※2≫ 展示物素材に依存する損傷度
一言で展示物と言ってもその種類は、絵画、古文書、織物、皮革、彫刻、陶芸作品、埋蔵文化財、動植物標本、・・・など多岐にわたり、またその内、例えば絵画を例にとっても、油彩画、水彩画、水墨画、など多種多様です。当然、展示物個々の素材特性によって環境条件に対する損傷の度合いは一律的ではありません。
照明光による損傷という切り口では、大雑把には、無機材料(金属、ガラス、石材など)と有機材料(植物や動物を原料とするもの)とでは損傷の受け易さ(応答度)が異なり、有機材料の方がより高い応答度を示すのが一般的です。展示物素材は、有機・無機に単純に分類しきれるものではありませんが、これまでの各種展示材料に対する研究により、保存管理の面から照明光による損傷の応答度を大きく 4 つのカテゴリー(応答度無し、低応答度、中応答度、高応答度)に分けて、展示物毎に対応することが推奨されています。
≪※3≫ 相関色温度可変 LED 照明
山口県立美術館で導入されたシーシーエス製 LED 照明には、細かな光の色味変化の調整を、容易な操作で実現する専用プログラムが組まれており、朝方から夕刻へと光の色味が変化するなかで、 作品の表情が移り変わっていく様子を再現できます。
シーエス独自の技術により、どの光の色味においても平均演色評価数 Ra 95 以上の演色性を維持することに加えて、展示品の光による損傷に対する配慮も同時に実現しております。
光と色の話 第一部
第37回 博物館・美術館の展示照明
・・・・・低損傷LED照明・・・・・
前回(第 36 回)は、私たちの生活空間で用いられる各種一般用照明について、重要特性項目との関連において、各種光源の特徴を比較してみました。今回は、私たちの日常生活で一般に用いられる照明に比較して、より上質であることと同時に更に異なった要求のある博物館や美術館での展示用照明についてお話します。
鑑賞のための照明
これらの照明は、先ず当然のことながら、その展示物に相応しい視環境の下で鑑賞できることが求められます。展示物の種類や形状・大きさ、展示目的、展示室の状況、などの諸条件に応じて、照明による展示物の色の見え(演色性)はどうか、光色(相関色温度)はどうか、どの程度の明るさ(展示物位置での照度レベル)が良いのか、どの方向から照明してどの方向から観察するのか、直接照明が良いのか間接照明が良いのか、等々の様々な要素を勘案して照明方法が検討されることになります。
照明光による展示物の損傷
その一方で、博物館や美術館の展示用照明は、鑑賞という立場からのみで設定される訳ではありません。博物館を訪問した経験のある方には思い当たる人も多いのではないかと思いますが、展示室の照明はかなり暗めであることが多いですね。もっと明るい照明の方が見易くて良いのに・・・と思ったこ とがあるかもしれません。歴史的な仏像などの文化財の場合は、暗めの照明の方が見た感じも神秘的で厳かさが漂って心理的にありがた味も増してくるような感じもあるかもしれません。
それを否定するものではありませんが、実は、それ以外に極めて重要な理由があるのです。
それは、照明光によって展示物が痛んでしまう(損傷を受ける)ことを極力抑えるためなのです。
私たちの日常でよく経験することでは、例えば、長期間白い紙(新聞紙など)を日向に晒しておくと、やがて黄色く変色してしまいます。この変色の度合いは、紙に照射される光が強いほど、また照射時間が長いほど大きくなります。この現象は、光を長時間受け続けることによって、紙を構成する分子が損傷を受けて分子構造レベルで徐々に変質した結果、可視域短波長側(青領域)の反射率が変化(低下)してしまうことが原因なのです。
博物館・美術館の照明についてもこれと同様なことが言えますので、極力暗めの照明にして展示物の損傷を防ぐ配慮がなされている訳です。
照明光を波長成分的(分光的)に見れば、一般的には、照明光に含まれる主に紫外線などの短波長光ほど物体に与える損傷が大きくなります。つまり、エネルギーの大きい光子(短波長光)ほど、物体を構成する分子に損傷を与え易い訳です。分子の損傷は反射率の変化、すなわち変褪色だけに留まらず、分子構造の変化による物体そのものの脆化・・・脆くなってちょっとした外力で壊れやすくなる・・・という現象の原因にもつながってきます。この脆化現象は、展示物表面の温度変化や湿度変化にも複雑に関係しており、照明光のみによるものとは言えないのですが、照明光の、特に紫外成分による分子構造損傷と赤外成分による温熱効果が大きな脆化促進要因となります。≪※1≫
展示物の損傷は一般に不可逆で元には戻りません。特に博物館・美術館での展示物は、歴史的・文化的に貴重なものも多く、一旦損傷を受けてしまうと取り返しがつかないことになってしまいます。
展示物の損傷抑制と鑑賞条件の二律背反
照明光による展示物の変褪色や脆化などの損傷の受け易さ(応答度)は、展示物自体の素材によって様々なのですが≪※2≫、照明光側の要因としては展示物表面に降り注ぐ分光放射照度分布と照射時間に大きく依存しており、特に光子エネルギーの大きい短波長成分(紫外や可視光短波長域)が悪影響を及ぼします。また、温熱効果を及ぼす(可視光よりも長波長の)赤外成分も悪影響を及ぼします。肉眼では見えない紫外・赤外成分は鑑賞には直接関係しませんので、展示用には紫外・赤外成分をカットした照明光を用 いるというのが原則なのですが、中には案外その配慮が抜けている場合もあるようですので注意が必要です。
また、可視域については、鑑賞条件(展示物の明るさや色の見え方)に直接関係してきます。展示物の観賞や修復・管理作業などのためには、ある程度以上の明るさと演色性が必要であり、また、展示物の種類によっては相関色温度が高めの(相対的に短波長成分が強い)照明の方が鑑賞上望ましい場合もあり、損傷抑制と鑑賞条件とは二律背反の関係にあります。
実際には両者のバランスを考慮した照明になる訳ですが、特に歴史的に貴重な文化財ほど「損傷抑制(保存)」という要素の方がより優先されることになります。このような事情から、貴重な文化財の場合には、紫外・赤外をカットした熱放射型光源(白熱ランプやハロゲンランプなど)や、博物館・美術館用の高演色性低損傷蛍光ランプが、極力暗めで使用されることになります。
また、可視域の中でも短波長側の紫や青の成分は、紫外ほどではないにしろ展示物への損傷を及ぼしますので、可視域短波長成分が相対的に弱い赤味を帯びた(相関色温度の低い)暗めの照明が望ましいことになります。
文化財等の展示会は、一般に例えば数週間程度の展示期間に限定されていることが多いのは、保存の観点から照明を当てる時間を必要最小限に抑えるためで、展示期間以外は(温湿度を管理した)暗黒の収蔵庫に保管され、極力損傷を受けない様に管理されています。
文化財展示用の白色 LED
近年、熱放射型ランプ(白熱ランプやハロゲンランプ等)や蛍光ランプに代わる次世代の一般照明用光源として LED ランプの普及発展が目覚ましく、博物館や美術館においても LED 照明導入の動きが徐々に進んできています。LED 照明においても上記のような鑑賞条件と損傷抑制の二律背反の事情は変わりませんが、 LED ならではの特長を活かすことによって、博物館・美術館において従来主流であった低損傷・高演色性の熱放射型ランプや蛍光ランプよりも更に良好な照明が実現され、日々改善が進んでいます。
LED は本来、発光原理的に狭帯域の準単色光であり、展示物損傷の大きな原因となる紫外・赤外の放射をフィルター無しでも僅少にすることが可能です。鑑賞に必要な可視域のみの発光に限定すると同時に、蛍光体との組み合わせによって、可視域一杯になだらかな分光分布を持たせ、極めて高い演色性の白色光源を実現することができます。更に、蛍光体の選定・調整によって、様々な光色(相関色温度)も実現可能です。LED のこのような特徴を活かして開発されたものがシーシーエス(株)の“自然光 LED ” ≪※本連載第 36 回「身の周りの照明光源」≫で、博物館・美術館用の照明として採用が進んでいます。
※自然光 LED についてはこちらをごらんください。
また、LED照明の光源形状は従来光源のような真空バルブ型の形態ではなく、大幅に小型軽量にすることが可能で、実際の展示室での光源配置の自由度も大きくなります。更に、ひとつの光源装置の中に複数の相関色温度の白色 LED 光源を実装して、各 LED の発光を外部から制御することにより、様々な光色(相関色温度)を自在に変化させることも可能になります。例えば、展示室内の同一展示物に対して、あたかも朝・昼・夕方の時刻での見え方・雰囲気を短時間で自在に観察できるようにした展示も実現されています。≪※3≫
LED のランプ効率の高さ(低消費電力)と寿命の長さは、一般照明用光源の場合と同様に大きなメリットであることは言うまでもありません。
注釈
≪※1≫ 文化財の各種損傷要因
博物館等での文化財の保管については、損傷を受けることなく現状を恒久的に保存し続けることが求められます。展示物の受ける損傷については、多種多様な展示物に対して一律的には論じきれませんが、その原因として、(今回の主題である)照明光による損傷以外にも、温度、湿度、黴、害虫・害獣などが挙げられます。例えば温度について言えば、物体は温度上昇により膨張しますので、温度変動が大きいと膨張・収縮の繰り返しにより、物理的・継時的に脆化が進むことになります。またスポット照明の場合などでは、照明光が当たった部分と当たらない部分の間で温度差による熱膨張差が発生し、機械的損傷が進む要因ともなります。なお、一般に化学変化の進行速度は温度が 10 ℃ 上がる毎に倍増すると言われています。
湿度に関しても注意が必要で、湿度が低すぎると、特に木製品などではその表面硬化・塗装剥離・ひび割れを引き起こしたり、逆に湿度が高くなりすぎると、細菌や黴の繁殖を促進したり、金属表面に錆びや曇りが出たりしまうことになります。また、害獣や害虫による機械的な破損(爪痕、食害など)、害虫の糞による汚染なども深刻な問題となることがあります。
≪※2≫ 展示物素材に依存する損傷度
一言で展示物と言ってもその種類は、絵画、古文書、織物、皮革、彫刻、陶芸作品、埋蔵文化財、動植物標本、・・・など多岐にわたり、またその内、例えば絵画を例にとっても、油彩画、水彩画、水墨画、など多種多様です。当然、展示物個々の素材特性によって環境条件に対する損傷の度合いは一律的ではありません。
照明光による損傷という切り口では、大雑把には、無機材料(金属、ガラス、石材など)と有機材料(植物や動物を原料とするもの)とでは損傷の受け易さ(応答度)が異なり、有機材料の方がより高い応答度を示すのが一般的です。展示物素材は、有機・無機に単純に分類しきれるものではありませんが、これまでの各種展示材料に対する研究により、保存管理の面から照明光による損傷の応答度を大きく 4 つのカテゴリー(応答度無し、低応答度、中応答度、高応答度)に分けて、展示物毎に対応することが推奨されています。
≪※3≫ 相関色温度可変 LED 照明
山口県立美術館で導入されたシーシーエス製 LED 照明には、細かな光の色味変化の調整を、容易な操作で実現する専用プログラムが組まれており、朝方から夕刻へと光の色味が変化するなかで、 作品の表情が移り変わっていく様子を再現できます。
シーエス独自の技術により、どの光の色味においても平均演色評価数 Ra 95 以上の演色性を維持することに加えて、展示品の光による損傷に対する配慮も同時に実現しております。